中世禅における安然教学の意義――聖一派の十識理解を中心に――

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  • The Significance of Annen’s Doctrine in Medieval Japanese Zen: An Analysis of the Understanding of the Tenth Consciousness in the Shōichiha School
  • The Significance of Annen's Doctrine in Medieval Japanese Zen : An Analysis of the Understanding of the Tenth Consciousness in the Shoichiha School

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説明

<p> 今日,日本の禅宗というと栄西が伝えた臨済宗,あるいは,道元が持ち帰った曹洞宗が想起される.これら研究する側の意識を根拠の一つに,栄西と道元各々の禅理解,さらにその後を受けて展開される臨済・曹洞両宗の思想について,多数の研究成果が蓄積されてきた.</p><p> 一方,現存史料に基づけば,禅が本格的に導入された中世日本仏教で大きな社会・思想的影響力を有した禅宗は,前述の臨済・曹洞の何れでもない.栄西の流れと近い系統にあるが,円爾に端を発するとされる臨済宗聖一派が,所謂「中世禅」の中核的位置を占めていたと推定される.この円爾を筆頭とする聖一派の僧が,どのような禅理解に基づき,いかなる思想言説を展開したか.末木文美士氏を中心に重要な研究成果がいくつか発表される.しかし,全容の解明にはほど遠い状況である.</p><p> 本論では,これら先行研究の課題を踏まえ,聖一派の僧が主張する禅説の系譜について考察を進める.すなわち,聖一派に分類される円爾や癡兀大慧等の教説が,いかなる思想背景の上に組織・体系化されたかを,彼らの著述の緻密な分析に基づき明らかにする.</p><p> 先行研究によると,聖一派の禅思想は,東台両密教と深く結びついている.筆者も,癡兀大慧『灌頂秘口決』や『菩提心論随文正決』を検討し,本書の禅理解が空海の十住心教判,および安然『教時問答』の心識説等を前提にしていることを解明した.本論では,この研究をさらに発展させる.すなわち,癡兀大慧の著作に見られた密教との関わり,特に安然教学との関連が同僧個人のものではなく,聖一派全体の特質である可能性を考える.具体的には,円爾の諸著作を検討し,その中の安然教学の受容姿勢について考察を試みる.</p>

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