大学における情報教育と媒体における表現倫理

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抄録

「詰め込み教育」を問題視する意見が多く聞かれることからもわかるように従来の「教育」の問題点はただ紙と鉛筆で○か×かを判断するような安易なものでしかなく、ここ数年の間に各教育機関で取り入れ始め、一見革新的とも思えるこの「情報教育」さえも、その内容は従来の教育とはまるで違いのない、コンビュータの使い方をおぼえたかどうかを問う程度のものである。媒体を通じて得た情報が正しいかどうか、否定すべき内容ならば、なぜ否定するのか、そういった部分を考えてはじめて「教育」と呼べるのであり、コンピュータが使えるかということは、」小学生が紙に鉛筆で字が書けるようになっただけのことに過ぎない。本来「教育」とは「おぼえること」ではなく 「考えるところ」にその本質がなくてはならない。つまり、小、中、高、大で学ぶべきものは媒体を使えるかどうかではなく、自分以外の相手に媒体を使って何を伝え、何を感じ、何を考えるか、そこが重要なのである。以上より、今日の日本の学生が重視するべき科目は、すべての媒体における「表現倫理」であり、「情報教育」ではない。そして、現在各教育機関で行われている「情報教育」がいかに無駄なものとなっているか、ここ数年の間に「情報処理」関連のカリキュラムを取り入れた大学をもとに調査していく。

収録刊行物

  • 年会論文集

    年会論文集 180-183, 1998-08-03

    日本教育情報学会

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