ユーリイ・オレーシャとフロイト主義

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  • YURY OLESHA AND FREUDISM

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抄録

1920年代のソヴィエトにおいては、精神分析に強い関心が集まっていた。1930年前後にオレーシャが執筆した戯曲『ザンドの死』にも、その影響をみることができる。共産主義者の夢や潜在意識を探りながら、そこに性的な欲望を見出そうとするこの戯曲について、オレーシャは「フロイト、シュペングラー、ベルクソンのイデオロギーをパロディー化したもの」と語っている。オレーシャは無意識を創作の源泉とみなし、夢と創作を同一視していた。精神分析の影響は、そのような創作観にもみることができるだろう。彼は脳裏に浮かぶ無秩序なイメージと格闘しながら、それを作品へと組織しようとした。イメージの訪れるままに無数の断片を執筆し、それを再構成したのである。第1回ソヴィエト作家大会(1934)において彼は、そのようなイメージの働きを「変容の機械」と呼んでいる。20世紀初頭のロシア文学では機械に野獣のイメージが与えられ、「自然」と関係づけられていた。オレーシャの長編小説『羨望』(1927)でも、機械は野獣とみなされている。「変容の機械」というイメージもまた、「自然」と関係したものと言えるだろう。技師とは「自然」を征服する存在であるが、オレーシャは短編小説「人間の素材」(1929)において作家を「人間の素材の技師」と呼んでいる(この規定は作家を「精神的技師」と呼んだトレチャコフや、「人間の魂の技師」と呼んだスターリンを想起させるものだ)。短編小説「預言者」(1929)において、オレーシャは「技師」であるかのように「夢判断」を行なう。映画シナリオ『厳格な若者』(1934)は精神の組織化を課題としたものだ。そのような作品には、体制と矛盾する欲望を無意識へと「抑圧」しようとする傾向を認めることができる。オレーシャは精神分析に関心を寄せながらも、後に不合理な欲望を「抑圧」しようとした。そのような彼の軌跡は、社会主義リアリズムに向かうソヴィエト文学の過程と並行したものだが、その根底には精神分析からの影響をみることができるだろう。

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