"わが国最初の歯科雑誌 : 歯科研究会録事,歯科研究会月報,歯科学会月報について"

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  • On the First dental journals in Japan

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抄録

"明治21 (1888)年榎本積一は修学時代から各門派にかかわらず同学の士を叫合し,相集り談論を交し知見の発展を計ることを目的とし「歯科談話会」を設立した.この門戸開放したことが当時新進気鋭の青年歯科医師や学生に広くうけ,また榎本が明治22年10月医術開業試験に合格し,翌23年11月に開業したこともあって,更に発展し,その目的に学術研究を含めるようになり,明治23(1890)年11月23日に「歯科研究会」と改称,翌24年1月から130名の会員の機関誌として「歯科研究会録事」を発行した,これがわが国における最初の歯科雑誌である.同誌は明治24年8月の第8号より「歯科研究会月報」と改称し更に継続発行したが,同28年6月の総会で会名を「歯科学会」と改めたことから,「歯科研究会月報」も第54号より「歯科学会月報」と改称した,明治32年3月,榎本の辞任につれて青山松次郎が会長となり継続した.しかし同33年青山が会津若松に引退したので,荒木盛英が続いて会務をとったが同34年5月故あって休会し遂に自然解散となるにつれ「歯科学会月報」も同34年12月23日発行の第110号で自然廃刊になった.ところが,このわが国最初の歯科雑誌である「歯科研究会録事」についての研究は少ないので.この「歯科研究会録事」を中心に若干の考証を試みたい."

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