義和団運動後の福建と日本

説明

一九〇三年春、閾漸総督許応驕は総督の地位を解任され、楊文鼎按察使らの高官が処分された。その原因は何であったのか。その背景は何であったのか。そこには、義和団運動の影響が、直接的に、間接的にあったと思う。小論の目的は義和団運動期、慶門事件以後の福建を考察しようとするものであるが、日本が重要に係っているので、日本との関係をにおいて考えてみたい。

収録刊行物

  • 奈良史学

    奈良史学 (8), 1-17, 1990-12-01

    奈良大学史学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1050300533202374912
  • NII論文ID
    120002662304
  • ISSN
    02894874
  • Web Site
    https://nara-u.repo.nii.ac.jp/records/2001922
  • 本文言語コード
    ja
  • 資料種別
    departmental bulletin paper
  • データソース種別
    • IRDB
    • CiNii Articles

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