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- 伊東 龍一
- 東京工業大学
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説明
近世初期の豊臣政権や江戸幕府が賦課した普請役については軍役論・国役論との関連で研究が蓄積されている。しかし大名以下に対する普請役の具体的な動員方法は十分解明されているとはいいがたい。大名に課された普請役と、千石夫などの百姓役や職人の国役との関連といった重要な問題も史料的な制約もあっていまだわからないことが多い。そこで本稿では、公儀普請役体系の統一的把握をめざし、とりあえず史料的理由から寛永6年の江戸城普請を取り上げ、幕府の大名動員のあり方に検討を加える。 なお、外郭の堀・石垣の一部や、内郭諸門の枡形を築いたといわれる寛永6年の工事の、江戸城築城史における位置、あるいは規模を一層明確に把握することも併せて課題とする。
収録刊行物
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- 建築雑誌
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建築雑誌 (1274), 120-121, 1988-07
日本建築学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1570572702396228992
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- NII論文ID
- 110003776891
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- NII書誌ID
- AN00079427
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- ISSN
- 00038555
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- CiNii Articles