沖縄のフクギ屋敷林の現状とその保全のあり方

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抄録

沖縄には18世紀の30年代後半以降、首里王府による計画村落の新設と同時に形成された「抱護」の歴史景観が、今でも残されている。しかしそれらの多くは、戦争や戦後の家屋建築や道路建設などで伐採・破壊され、現在、ごく一部の地域でしか見ることができない。沖縄本島北部の今帰仁村今泊、本部町の備瀬、渡名喜島、多良間島、八重山諸島の白保、波照間島などには、その歴史的景観の原型が今でも確認できる。琉球王朝時代に確立された「抱護」には、「屋敷抱護」・「浜抱護」(地域レベルで「潮垣」=すがき、と呼ばれるもの)、「村抱護」、「間切抱護」など、その配置場所によって、様々な呼び方が存在する。その配置は、海岸域(「浜抱護」)から村落(「屋敷抱護」・「村抱護」)、複数の村落(「間切抱護」)にまたがり、地形と林帯(リュウキュウマツ・フクギなど)を混交して、気(環境の乾湿度)を保全するように形成されている。その最大の目的は、冬の北風や台風から農地や村落の気候環境を守ることにある。このような歴史的に形成された意味のある「抱護」の景観が、その存在意義を問われることもなく、現在、安易に各地で自治体などによって伐採され、単なる盆栽型の庭木に変質させられつつある。今のような状況が続くなら、折角、先人たちが相当の労力を駆使して作り上げた歴史遺産が、その存在意味も知られることもなく、消滅していくことだろう。既に、その兆候が県内各地で起こりつつある。以下、その主要な事例を取り上げ、その原因と保全のあり方について、「景観法」との関連で考察してみよう、と思う。なお、本文で事例として取り上げる所は、西原町内間御殿、本部町備瀬、渡名喜島の3箇所で、それぞれの位置は、図1に示す通りである。

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