96 開拓使の露国風校倉造建築について(日本近代(明治期),都市計画、建築計画、建築史・意匠,計画系)
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説明
開拓使が北海道における防寒建築の試みとして、露国風校倉造を導入したことは『開拓使事業報告』に記され、遠藤明久『開拓使営繕事業の研究』ほかで論考されている。この露国風校倉造建築の導入は、明治11年黒田清隆のウラジオストック・コルサコフ視察以降のこととされてきたが、それに先立つ明治9年のエトロフ・シコタン島官舎で、邦人職工による試みがあったことはあまり知られていない。また11年以降の個々の建築についても詳細は報告されていない。本報では開拓使の露国風校倉造建築のうち、建築仕様書などが遺存しているエトロフ・シコタン島官舎、藻岩学校、七重学校、上白石邑石川家屋を取り上げ、建築経緯と設計内容について報告しておきたい。
収録刊行物
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- 日本建築学会北海道支部研究報告集
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日本建築学会北海道支部研究報告集 (63), 385-388, 1990-03-22
日本建築学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1573950401998155008
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- NII論文ID
- 110006880093
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- NII書誌ID
- AN10480806
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- ISSN
- 13440705
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- CiNii Articles