日本橋高等女学校出身「天野喜久代」の活動の軌跡(上) -日本のモダン化における帝劇浅草オペラ女優としての先駆的意義-

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タイトル別名
  • Kikuyo AMANO from Nihonbashi Girls' High school through Opera Actress to the First Female Jazz Singer in Japan(Part1) : Her Singnificance as an Opera Actress in Modernized Japan

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説明

明治末期から大正初期に日本橋高等女学校で学んだ天野喜久代は、昭和初期に日本最初の女性ジャズ歌手となった。彼女は同校を卒業する前に、帝国劇場の洋劇部に研修生として入り、イタリア人で振付師兼演出家のローシーや世界的に有名になったプリマドンナ三浦環から、オペラ女優となるための声楽・舞踏・演技の指導を受けた。ところが、帝劇オペラの奥行成績は不振を極め、洋劇部は数年で解散となってしまった。演技をする場を失った天野は、脚本家、演出家兼俳優の伊庭孝と作曲家の佐々紅肇に出会った。彼らは一般大衆に理解されるオペラを創作することによって時代を切り開く先端的芸術運動を試みており、天野はその二人から影響を受け、浅草でオペラ女優として活躍する。彼女はモダン化される大都市東京で大衆の心を捉えようと、舞台だけでなくお伽歌劇のレコードにも挑戦し、先駆的な活動を続けた。彼女は、この時に培った能力で、昭和初期には日本最初の女性ジャズ歌手としてラジオやレコードに登場し、昭和歌謡にモダンな旋律とリズムを提供する役割を果した。本稿では前編として、大正期における彼女のオペラとお伽歌劇での活動の軌跡を迫ってみた。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1574231877655679488
  • NII論文ID
    110009431233
  • NII書誌ID
    AA12337743
  • ISSN
    18829147
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • CiNii Articles

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