岐阜駅前繊維問屋街から見る戦後市街地空間の形成過程に関する研究

書誌事項

タイトル
岐阜駅前繊維問屋街から見る戦後市街地空間の形成過程に関する研究
タイトル別名
  • Formation Process of post-war urban space from the perspective of the textile wholesale district in the Gifu railway station-front area
著者
荒木, 菜見子
学位授与大学
京都工芸繊維大学
取得学位
博士(学術)
学位授与番号
甲第999号
学位授与年月日
2021-03-25

説明

type:Thesis

本論文は、戦後岐阜において形成された都市空間について、その基幹産業を担った岐阜駅前の繊維問屋街に着目し、その商業空間の成立と変容を明らかにしたものである。それは、戦後復興期における日本の都市空間形成において、一つの産業が共同化しながら商店・住宅の都市空間を形成した事例として重要な意味を持つ。 本論文ではその歴史的展開に沿って、3章にわたり論じた。第1章では、戦災により焦土となった岐阜駅前に、1947年(昭和22)から建ち並んだバラックの簡易商店街であるハルピン街と、その発展形として建設された大ハルピン街住宅について分析した。当時の新聞記事や写真資料、行政文書などからそれらの建設の経緯と具体的な場所の特定、空間の把握をおこなった。これらの事業において、北満州からの引揚者集団が一人のリーダーを中心として組織化し、そのもとで自律的な都市形成がおこなわれた過程が明らかになった。 第2章では、ハルピン街・大ハルピン街の形成をふまえ、駅前繊維問屋街が成立した過程と、1950年代から全国でみられた都市不燃化運動と同調して、繊維問屋街が取り組んだ店舗の耐火建築化・共同建築化について分析した。当時の新聞記事や、防災建築街区造成事業に関する行政文書、計画図面などをもとに、建設された街区の具体的な空間把握をおこなった。そこでは、問屋街が事業を共同化することで建設が実現した実態が明らかになった。 第3章では、繊維問屋街の成長にともない求められることとなった、福利厚生の拡充を目指す事業の中で建設された従業員住宅について検証した。当時の新聞記事から事業の経緯をたどり、登記簿や地籍図、行政文書の分析をおこなうことで住宅の供給方法について明らかにした。ここではいわゆる企業の社宅とは異なり、繊維問屋街という中小企業者の集団が共同でおこなう住宅建設・供給であることによる、住宅供給、その後の土地建物の払下げの過程に、特徴を見出すことができた。 結章ではこれらの全3章を通して、戦後復興期における基本法や制度の空白期において、自律的に行われた都市形成の過程とその特徴を明らかにしたことを結論としてまとめた。この戦後岐阜における事例は、住空間の併設なども含む総合的な街区形成という展開において、戦後の「闇市」などは異なる都市空間形成として捉えていくべきものであり、またそれは、地方都市だからこそ求められた特徴であったとも言えるものであった。さらにそれは、行政による誘導や支援の制度が整っていく過程と連動しながら、その制度的枠組みの形成に大きな影響を持ったものであったことも了解できた。

収集根拠 : 博士論文(自動収集)
資料形態 : テキストデータ
コレクション : 国立国会図書館デジタルコレクション > デジタル化資料 > 博士論文
type:Thesis
本論文は、戦後岐阜において形成された都市空間について、その基幹産業を担った岐阜駅前の繊維問屋街に着目し、その商業空間の成立と変容を明らかにしたものである。それは、戦後復興期における日本の都市空間形成において、一つの産業が共同化しながら商店・住宅の都市空間を形成した事例として重要な意味を持つ。 本論文ではその歴史的展開に沿って、3章にわたり論じた。第1章では、戦災により焦土となった岐阜駅前に、1947年(昭和22)から建ち並んだバラックの簡易商店街であるハルピン街と、その発展形として建設された大ハルピン街住宅について分析した。当時の新聞記事や写真資料、行政文書などからそれらの建設の経緯と具体的な場所の特定、空間の把握をおこなった。これらの事業において、北満州からの引揚者集団が一人のリーダーを中心として組織化し、そのもとで自律的な都市形成がおこなわれた過程が明らかになった。 第2章では、ハルピン街・大ハルピン街の形成をふまえ、駅前繊維問屋街が成立した過程と、1950年代から全国でみられた都市不燃化運動と同調して、繊維問屋街が取り組んだ店舗の耐火建築化・共同建築化について分析した。当時の新聞記事や、防災建築街区造成事業に関する行政文書、計画図面などをもとに、建設された街区の具体的な空間把握をおこなった。そこでは、問屋街が事業を共同化することで建設が実現した実態が明らかになった。 第3章では、繊維問屋街の成長にともない求められることとなった、福利厚生の拡充を目指す事業の中で建設された従業員住宅について検証した。当時の新聞記事から事業の経緯をたどり、登記簿や地籍図、行政文書の分析をおこなうことで住宅の供給方法について明らかにした。ここではいわゆる企業の社宅とは異なり、繊維問屋街という中小企業者の集団が共同でおこなう住宅建設・供給であることによる、住宅供給、その後の土地建物の払下げの過程に、特徴を見出すことができた。 結章ではこれらの全3章を通して、戦後復興期における基本法や制度の空白期において、自律的に行われた都市形成の過程とその特徴を明らかにしたことを結論としてまとめた。この戦後岐阜における事例は、住空間の併設なども含む総合的な街区形成という展開において、戦後の「闇市」などは異なる都市空間形成として捉えていくべきものであり、またそれは、地方都市だからこそ求められた特徴であったとも言えるものであった。さらにそれは、行政による誘導や支援の制度が整っていく過程と連動しながら、その制度的枠組みの形成に大きな影響を持ったものであったことも了解できた。

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ