書誌事項
- タイトル
- シャーマニズムによるエスニシティの探求―ポスト社会主義期におけるモンゴル・ブリヤートの事例を中心として
- タイトル別名
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- シャーマニズム ニ ヨル エスニシティ ノ タンキュウ : ポスト シャカイ シュギキ ニ オケル モンゴル ブリヤート ノ ジレイ オ チュウシン ト シテ
- 著者
- 島村, 一平
- 著者
- シマムラ, イッペイ
- 著者
- SHIMAMURA, Ippei
- 学位授与大学
- 総合研究大学院大学
- 取得学位
- 博士(文学)
- 学位授与番号
- 乙第194号
- 学位授与年月日
- 2010-03-24
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説明
本論は、モンゴル国に居住する少数集団であるブリヤート人(モンゴル・ブリヤート)
のエスニックな帰属意識が、シャーマニズムによっていかに探求され、どのように再構築
されているかを論じるものである。
ブリヤートは、バイカル湖周辺地域に居住し、狩猟や牧畜に従事しモンゴル語系の言語
を話す集団である。17世紀後半より帝政ロシアの支配下に入ったが、20世紀初頭、ロシ
ア人による牧草地の収奪やロシア革命による混乱を避けて、その一部が集団で国境を越え、
外モンゴル(現在のモンゴル国)に移住、亡命を図った。しかしモンゴルに移住後、1930
年代後半のスターリン粛清によって、ブリヤートは反革命・日本のスパイという理由で多
くの者が逮捕され、銃殺刑に処された。
ロシア側に残ったブリヤート人は、ソ連の下で「モンゴル人」とは異なる別の「民族」
として制度化されることとなった。その結果、ロシアのブリヤート人たち(ロシア・ブリ
ヤート)は、文化的に親近性をもつモンゴル人より、ソ連的な意味で「文化的」かつ「文
明化」した「民族」だと自己を想像することとなった。
一方、モンゴル人民共和国では、ブリヤート人たちは「モンゴル民族」内に属する少数
エスニック集団だとされた。こうしてソ連とモンゴルという複数の国家によって矛盾した
複数帰属が付与された結果、現在、ロシア・ブリヤートは、モンゴル・ブリヤートを純粋
な「ブリヤート人」とは見なさず、自分たちより「文化的」ではない「モンゴル人」とみ
なしている。
さて、1990年代初頭の社会主義の崩壊以降、モンゴル・ブリヤートの間では、不思議な
現象が起きている。精霊を憑霊させるタイプのシャーマンが次々と誕生し、その数は人口
の1%に迫っているのである。実は社会主義以前、モンゴルに移住してくる前のアガ・ブリヤート
の人々はほとんどが仏教徒だった。すなわち、シャーマンの増殖現象は、伝統の復活ではなく
て、全く新しい現象だといえよう。
彼らは、好き好んでシャーマンになっているわけではない。大抵の場合、肉体的、精神
的に不調が理由で病院などを訪れるが、原因がわからない。そして万策つきたとき「患者」
は、シャーマンを訪ねる。これに対してシャーマンは「おまえは、オグにねだられている
のだ。はやくシャーマンにならないと命はないぞ。」と宣告するのである。
ここで言う「オグ」とは、英語でいう《ルーツ》に近いニュアンスをもった語である。
「オグがねだる」とは、偉大なルーツである先祖シャーマン霊が、「患者」にシャーマンに
なることを要求しているという意味である。そして、この「診断」を受け入れたとき、患
者は「シャーマン」へと変貌していく。
ところでモンゴル・ブリヤート人たちは一般的に、この「オグ」を「父系系譜」やクラ
ン名に関する知識という意味で使っている。現在、ブリヤート人はおよそ7-9代に及ぶ
父系系譜の知識を持っている人が多い。離散と迫害の歴史が、彼らをしてのエスニックな
集団の帰属意識を示す指標として父系系譜の記憶を編集的に維持させてきたと考えられる。
ところが、シャーマンたちの言う「オグ」とは、彼らの霊的ルーツ、すなわちシャーマ
ンに憑霊する精霊のことであった。この精霊たちは、生前にシャーマンであった彼らの祖
先の霊であるが、父の母方、母の母方、母の父の母方などといった多系的な祖霊である。
こうした「ルーツの病」は、ポスト社会主義における社会的混乱と深く関わっている。
この時代は、「民主化」「市場経済」という標語の下に、社会主義時代に築き上げてきたも
のを極端に否定する方向へと走った時代でもあった。国営農場や牧畜協同組合といった社
会システムは解体の道をたどり、人々は社会的な紐帯を一挙に喪失した。モンゴルにおい
ては、「ショック療法政策」と呼ばれた急激な民営化政策が、実施され、多くの失業者や貧
困を生み出すこととなった。
このような社会的混乱の中、「ハルハ純血主義」が台頭することとなった。すなわち、首
都において精神的傷害を持っている者が多かったり、仕事の能力の低い者が多かったりす
るのは、モンゴル人(≒ハルハ人)の純血が守られなかったからだという認識が蔓延し始
めたのである。その結果、モンゴル人として「純血」ではない、非ハルハや漢民族などと
のハーフたちは、「混血=エルリーズ(Erliiz)」と呼ばれ、政治や社会の場において、周
縁に追いやられることとなった。
こうした動きは、モンゴル・ブリヤートたちの居住する地域にも波及した。ただし、モ
ンゴル・ブリヤートの間では、ハルハ純血主義ではなく、ブリヤート純血主義という形を
とった。当該地域では、郡の組織において「血が汚れて悪い出自を持つ者たちだからだ」
だという理由で、多くの人々が仕事を解雇された。「悪い血を持つ者」とは、系譜の記憶が
確かでなく、ブリヤート人としての「資格」が疑わしい者たちのことである。しかし、現
在のモンゴル・ブリヤートの中には、帝政ロシア末期のロシア人植民や、粛清による男性
の虐殺による男性不足から、中国人やハルハ人との通婚が進んだ結果、「
総研大乙第194号
博士論文
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1910583860701879168
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- NII論文ID
- 500001154371
- 500002423610
- 500000530474
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- NDL書誌ID
- 000011055406
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- IRDB
- NDLサーチ