明治期における『随園食単』の受容について : 木原章六「随園食単註訳」と陽其二『家庭支那料理法』

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  • The Acceptance of "Suiyuan-shidan" in the Meiji Period

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抄録

清の袁枚が著した『随園食単』は中国料理書の古典である。幕末に初伝したが難解ゆえか利用された形跡がない。同書の受容史は明治期にはじまる。小文がとりあげる、木原章六「随園食単註訳」と陽其二『家庭支那料理法』とは、それぞれ『随園食単』の日本初の訳注と日本初のほぼ全訳である。木原は明治前期に司法官をつとめた人物で、「随園食単註訳」は日本最古の料理雑誌といわれる『庖丁塩梅』に一八八八年から翌年にかけ十四回にわたり連載された。『随園食単』の前半を訳注するも、中途で著者が死去し未完におわった。陽は活版印刷業者そして日本初の日刊新聞の発行者として知られる。一九〇五年に出版された『家庭支那料理法』は、前半に木原の訳文を流用し、後半を新たに邦訳した、『随園食単』の翻訳書である。両著作とも従来の訓読でなく懇切な日本語訳によって読者の理解をうながすなど、参考資料が潤沢になかったであろう当時にあって意欲的な仕事といってよい。両著に関する先行研究はほぼなく、これらの事実の多くは小文が初めて指摘する。

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