教育映画と視線の分有 --ジャン=リュック・ナンシーのアッバス・キアロスタミ論--

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  • 山本, 源大
    京都大学大学院教育支援機構奨励研究員; 臨床教育学コース博士後期課程3回生

書誌事項

タイトル別名
  • Educational Film and Sharing of a Look: Jean-Luc Nancy's Theory of Abbas Kiarostami
  • キョウイク エイガ ト シセン ノ ブンユウ : ジャン=リュック ・ ナンシー ノ アッバス ・ キアロスタミロン

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抄録

本稿は、フランスの哲学者ジャン=リュック・ナンシーの著書『映画の明らかさ』を手がかりに、イランの映画監督アッバス・キアロスタミの映画・映像作品における「教育」を「視線の分有」として考察するものである。教育映画はこれまで、世界上の事物や意識上の観念を子どもに伝達する教材として、ひろく利用されてきた。しかし、キアロスタミの教育映画は、通常の教育映画が一般的に持っている特徴を有しない。ナンシーによれば、キアロスタミの映画・映像作品は、むしろ「現実的なもの」の「運動」と「世界」の「引きこもり」に対する「配慮の力」を持つ「視線」を子どもに「分け合う」。そして、こうした「視線の分有」としての「教育」を可能にするのは、フィルムを用いた「撮影」とシネマを用いた「映写」である。「視線の分有」としての「教育」は、こうした映画という媒体装置そのものが持つ可能性に依拠している。

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