鹿屋市笠之原に伝わる高麗餅「シロ」に関する調査研究

書誌事項

タイトル別名
  • An Investigation and Research on the Special Kind of Koraimothi "Shiro" Traditionally produced in Kasanohara Area in the City of Kanoya

説明

【目的】鹿児島では法事菓子の主役として高麗餅を使用することが多い。「これがし」とか「これもち」と呼び,小豆餡と米の粉こね合わせた蒸し菓子である。高麗餅が鹿児島に伝わったのは,慶長3年(1598年)朝鮮の役により,豊臣秀吉の命を受けて出兵した島津義弘が,李朝の陶工たちを南原(ナモン)から捕虜として連れ帰った折に一緒に伝えたとされている。鹿児島県鹿屋市笠之原地域では,この高麗餅を「シロ」と呼び,地域の玉山宮では祭事や行事の際に高麗餅「シロ」を奉納し「餅返し」の儀式を行っていた。同様に薩摩焼窯元日置市東市来町美山でも,高麗餅を作っていたという記録が残されている。鹿児島における高麗餅の歴史・文化を探る糸口にする目的で調査を行った。<br> 【方法】鹿屋市笠之原地域玉山宮に伝わる口伝を川本家が書き留めた「玉山宮由来記」を中心に,「シロ」の作り方の再現,聞き取り調査を行った。薩摩焼14代陶工沈壽官氏からの聞き取り調査,司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」文藝春秋1986,南日本新聞社著「かごしまの味」春苑堂1969,全鎮植・鄭大聲編著「朝鮮料理全集―6餅・菓子・飲料」柴田書店1986から高麗餅の由来や歴史的背景を探り,「シロ」との比較を試みた。 <br> 【結果】韓国の伝統菓子「パッシルトッ」と鹿屋市笠之原の玉山宮に代々伝えられてきた高麗餅「シロ」を再現し比較してみると,類似性が多く美山の記録も同様であった。南原から連れてこられた陶工たちは串木野の島平に上陸後,東市来町美山に移り住み,一部は時を経て笠之原に移住している。ここには陶土がなく陶芸文化は廃れたが,望郷の為に「玉山宮」を建立し,高麗餅を作って「餅返し」儀式を伝えたことが推察される。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390001205693844608
  • NII論文ID
    130005481282
  • DOI
    10.11402/ajscs.26.0_164
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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