<論文>アドルフ・フィッシャーの東洋美術観 : ケルン東洋美術館に見る近代ヨーロッパにおける日本美術受容の一例

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タイトル別名
  • <Article>Adolf Fisher’s View on East Asian Art : An Example of the Reception of Japanese Art in the Modern Europe at the Museum of East Asian Art Cologne

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説明

これまでヨーロッパにおける日本美術受容の研究においては、日本美術が西洋美術の造形に与えた影響について論じられることが多かった。一方で、近代ヨーロッパにおいて日本美術史がどのように成立していったかという問題に関しては、まだ多くのことが明らかになっていない。本稿は、1913年にドイツに開館したケルン東洋美術館と、その設立者アドルフ・フィッシャーを取り扱った論文である。アドルフ・フィッシャーは、当時ヨーロッパで美術として考えられていなかった、日本美術を含む東洋美術に対し、西洋美術と同等の価値を認め、初めてヨーロッパに東洋美術館を設立した人物として評価されている。ケルン東洋美術館とアドルフ・フィッシャーに関しては、既に多くの歴史的な事実が明らかになっている。しかしながら、フィッシャーが東洋美術をどのように解釈しており、それが近代ヨーロッパにおける日本美術史の成立においてどのように位置付けられるのかという問題については未だ検討されていないことが多い。そこで本稿では、同美術館の開館当初に出版された『ケルン東洋美術館案内書(Fuhrer durchdas Museum fur Ostasiatische Kunst der Stadt Coln)』をはじめとする、アドルフ・フィッシャーによる著作の検討を通し、フィッシャーの東洋美術解釈を明らかにすることを試みた。本研究は、フィッシャーが、当時のヨーロッパでコレクションの対象として注目されていた浮世絵や工芸品ではなく、絵画と彫刻作品などのファイン・アートに着目し、それらの作品の展示を通して、東洋美術が西洋美術に匹敵する価値があることを主張していたことを明らかにした。本稿は、近代ヨーロッパにおける日本美術史の成立という問題に対して、新たな視点を寄与するものである。

収録刊行物

  • 国際日本研究

    国際日本研究 13 39-52, 2021-03

    筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻

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