J. デューイにおける知識を社会化することの人間論的意味(Ⅱ) : 方法主義に基づく理論受容の風土に対峙する研究者の条件

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  • J. デューイ ニ オケル チシキ オ シャカイカ スル コト ノ ニンゲンロンテキ イミ Ⅱ : ホウホウ シュギ ニ モトヅク リロン ジュヨウ ノ フウド ニ タイジ スル ケンキュウシャ ノ ジョウケン
  • Anthroposophical significance of finding out social meaning of knowledge in J.Dewey’s empiricism (Ⅱ) : The fundamental condition of researchers’ side to overcome the habitus that they accept educational theories by considering teaching method more important than teaching content

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抄録

本稿は、拙稿「J. デューイにおける知識を社会化することの人間論的意味」に続けて、教育理論を自らの経験として受容するための研究者側の知的条件に焦点を当てて、デューイにおける知識を社会化することの人間論的意味を把握している。その意味を自らの経験に溶かし込むには、知識を社会化する意図的な経験が私たちの側に準備されておかなければならない。したがってその経験を上記拙稿では三つ用意したが、本稿ではその経験を新たに三つ検討する。この三つの事例の中に、社会化されていない知識と社会化された知識いずれの方が私たち人間の脳髄へ一層深く食い込んでくるのか、この人間論的意味が見出されている。以上本稿の課題の基底には、方法主義の「伝統」が定着している教育課程「研究」の現状が確認されている。

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