このしろの現代と江戸時代の調理方法、食習俗の比較
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- 畦 五月
- 就実短期大学
書誌事項
- タイトル別名
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- The comparison of cooking methods and dietary habits of Konoshiro in between present day and Edo period
抄録
【目的】このしろは、こはだ、つなしなどと呼称がさまざまある魚で出世魚とされるが、同時に古くからの言い伝えで忌み嫌われる魚である。平成8年の岡山県での調査ではこのしろのすしを作成している地域が多く存在し、また祭りのハレの食事にしている地域も多くあった。また全国的にも、このしろのすしをハレの日の食事としたり、あるいは神饌として供えている。そこでこの理由を、江戸時代の食習俗と比較しながら当時の料理書あるいは、養生書等を参考に調査した。 【結果】平成15,16年度の本学会の魚介類の特別研究では、36府県でこのしろが料理されていた。酢を使用した酢の物、和え物等の調理方法が最も多数例あり、他料理名として塩焼き、すし、刺身、揚げ物等が挙がった。すしは徳島、岡山、福岡、兵庫県で事例が多く、日常食の事例が最多であったが、他にも祭りや、正月、来客時に食べる習慣が浮かび上がった。江戸時代の料理書にも、焼き物、すし等の現代とほぼ同様の料理方法の記載があった。しかし、養生書ではこのしろを益なしと見なす書も多かった。逆に「脾胃を暖め、筋力を益す」と書かれた養生書もあった。焼いた時には特に益なしあるいは有毒と見なした養生書があった。このしろの焼いた時の臭い、あるいは語呂(この城を焼く)から忌み嫌われながら、ハレの日のすしや、神饌として伝承された理由は、以下のことが言われている。先祖が最も馳走として食したものである尊い海と山の「幸」を神饌でお供えした。そのお下がりを「直会」で頂く風習があるため、人間が食べることが出来る食品を供えものにした。また、米と魚の合体物であるすしを魚とみなして神饌として供えたなどの理由づけがなされていた。
収録刊行物
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- 日本調理科学会大会研究発表要旨集
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日本調理科学会大会研究発表要旨集 23 (0), 172-172, 2011
日本調理科学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390282680669939456
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- NII論文ID
- 130007016082
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用不可