<語り>を読むとはどういうことか : ティム・オブライエン(村上春樹訳)「待ち伏せ」における記憶と物語(<特集><文脈>を掘り起こす-文学教育と<語り>)

書誌事項

タイトル別名
  • What Is the Reading of Narration? : Memory and Narration in "Machibuse"(<Special Issue>Unearthing the Contexts: Literary Education and Narration)
  • 〈語り〉を読むとはどういうことか--ティム・オブライエン(村上春樹訳)「待ち伏せ」における記憶と物語
  • カタリ オ ヨム トワ ドウ イウ コト カ ティム オブライエン ムラカミ ハルキ ヤク マチブセ ニ オケル キオク ト モノガタリ

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抄録

文学教育における語り論の今日的な課題は、ナラトロジーに依拠する物語学的語り論の人称論的な枠組みの限界を見きわめ、語りの向こう、すなわち「<語り手を超えるもの>」「<機能としての語り手>」をどのように把握するかにあると考える。本稿では、ティム・オブライエン(村上春樹訳)「待ち伏せ」をとりあげ、戦争の記憶が想起され、語りが生起する場に働く機制を明らかにしつつ、読むことにおける文脈化、脱文脈化、再文脈化という一連の過程と<語り>を読むことの関係を考察する。

収録刊行物

  • 日本文学

    日本文学 59 (8), 47-56, 2010

    日本文学協会

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