石田梅岩の死生観 : 開悟体験と儒者としての自覚をめぐって

書誌事項

タイトル別名
  • Ishida Baigan's Views of Life and Death : His Experiences of Apprehension and His Self-Consciousness as a Confucian
  • イシダバイガン ノ シセイカン : カイゴ タイケン ト ジュシャ ト シテ ノ ジカク オ メグッテ
公開日
2013
DOI
  • 10.20716/rsjars.87.3_549
公開者
日本宗教学会

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説明

本稿では、江戸時代中期の市井に生きた思想家、石田梅岩(一六八五-一七四四)の思想に注目し、「儒者」と称した彼が生と死に関する実存的な問いにいかに向き合ったのかを明らかにした。従来、儒教の主たる関心事は、概して死、死者、死後の世界など死に関わる問題ではなく、現生、今現に生きている人間など生に関わる問題にあるとされてきた。しかしながら、梅岩が著したテクストを踏まえれば、生とは何か、死とは何か、という実存的な問いに対して、彼がむしろ真摯に向き合った跡を読み取ることができる。それは、具体的に「心」を知るという修行、すなわち、宇宙論的に生と死の意味を捉えなおすことによって行われた。本稿では梅岩が周〓渓による「太極」の生成論を基本的に踏襲していることを確認したうえで、彼が死後の「霊」の存在について如何に解釈したのかについても言及した。「不生不滅」の議論を踏まえれば、死後も「性」はそのままその場に止まる。また、梅岩独自の言語観(「名」が存在を存在せしめる)に基づけば、生者が死者の存在を「霊」と名づけ、その「霊」を誠意を持って祭る場合に「霊」は確かに存在するのであった。

収録刊行物

  • 宗教研究

    宗教研究 87 (3), 549-571, 2013

    日本宗教学会

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