日本の製紙産業の技術開発史

書誌事項

タイトル別名
  • The History of Technological Developments of the Paper Industry in Japan
  • 日本の製紙産業の技術開発史(第4回)原料パルプの生産
  • ニホン ノ セイシ サンギョウ ノ ギジュツ カイハツシ(ダイ4カイ)ゲンリョウ パルプ ノ セイサン
  • 第4回 原料パルプの生産
  • Part 4 : The Start of Pulp Production
公開日
2016
DOI
  • 10.2524/jtappij.70.163
公開者
紙パルプ技術協会

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説明

19世紀に入ると,抄紙機の後を追いかけるようにパルプ製造にも技術開発が始まった。19世紀中ごろまでに,ぼろ及びわらを地球釜でアルカリ蒸解する技術が完成した。それを受けて,19世紀後半には,木材のアルカリ蒸解が竪釜のデザインでできあがった。時を同じくして,ヨーロッパでGPが開発され,アメリカでSPが実験された。これらの技術が,大西洋を挟んで交流し,基本デザインを完成し,20世紀初めにはGPとSPの配合による新聞用紙が大量に生産されるようになった。それより少し遅れるが,KPも回収を組み込んだシステムとして完成した。<br>明治期は,まさに,このパルプ化技術が急速に革新しつつある時であり,それに日本の技術者が如何に対処したかが技術史となる。<br>まず,欧米のように,ぼろをアルカリで蒸煮した。このパルプを輸入抄紙機で紙にするのでは輸入紙に太刀打ちできない。最初のコストダウンが,アメリカで実用化されていたわらパルプのアルカリ蒸解で,大川平三郎が稲わらに応用して,わらパルプ6割,ぼろパルプ4割の新聞用紙を製造した。<br>次いで,SPがヨーロッパで工業化されたとのニュースを知り,大川平三郎が調査に出向いた。大川は独自にSPの技術を開発しようと,5年の歳月をかけた後,木曽の気田に工場を建設する。当初,業績は甚だ振るわなかったが,世界的に普及しだしていたGPを導入,さらに抄紙機を併設し,木材ベースの一貫工場としてノウハウを完成させた。これが,気田工場から10年後の中部工場の建設となり,北海道,樺太への展開の基礎となった。<br>次回は,その北海道から樺太への展開を紹介する。

収録刊行物

  • 紙パ技協誌

    紙パ技協誌 70 (2), 163-171, 2016

    紙パルプ技術協会

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