障害史研究(Disability History Studies)のための日本古典文学研究序説

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タイトル別名
  • Japanese Classical Literature Research and Disability History Studies
  • ショウガイシ ケンキュウ(Disability History Studies)ノ タメ ノ ニホン コテン ブンガク ケンキュウ ジョセツ

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抄録

本稿は日本古典文学研究の障害史研究における寄与を問う試論である。日本古典文学は、障害者という概念が成立する以前の文献を扱う。そのために障害や障害者に関する用語や登場人物、ストーリーを有するものが多くある。そして活字本やデータベースでも容易に拾い上げることのできる環境がある。その状況の中で日本古典文学研究は障害史研究といかに関わることができるのであろうか。本稿はこの問題に対して「狂」を取り上げて論じる。構成は以下の通りである。「1 日本古典文学における「狂」」では、日本古典文学における「狂」を取り扱う。古典文学では、狂言や狂歌などのように「気が狂う」こととは別に「狂」が一般化されている。その延長で「風狂」「狂狷」が位置づけられるので、「江戸狂人伝」といった書物も出版される。しかしながら、この「狂」が精神疾患と無縁ではないことを「2 日本古典文学における「狂人」その1」、「3 日本古典文学における「狂人」その2」で具体的な事例をあげて論じた。志が大きく周囲と迎合しない高邁な行動力の持ち主が「狂狷」、その人を指す言葉が「狂人」であると文学用語は規定されている。その狂狷と似て非なる者は「狂蕩」と呼ばれる。一見明確なこの定義は実は明確ではなく、そのダークゾーンがあることを『不可得物語』から導きだし、そのダークゾーンがミシェル・フーコーの「狂気」と重なることを論じた。その観点から『徒然草』『父の終焉日記』『百万』と『東海道中膝栗毛』の狂人描写を通観すれば、やはりそこに異相が認められて奇麗に論じ分けることができない。そこで、精神神経医学の観点から小田晋、特に彼が病誌学的方法で取り上げた「狂気」の一症例の平賀源内を取り上げた。小田は源内の事跡に文学作品を絡ませて彼を分裂気質的要素を混ぜた循環気質者と断定する。ここで重要なことは、小田の学問や診断が成り立つためには、その伝記的人物の正しい伝記や作品論が揃っていることである。そして、その原拠たる正確な伝記や作品論を提供できるのは日本古典文学研究だけである。「4 狂気と創造」では、少し観点を変えて狂気が名作の創作に関わるのか否かという点について、平賀源内を論じた。源内は狂気故に日本文学史上に輝かしい軌跡を残したのだろうか。ここに於いてもやはり平賀源内の正しい伝記資料が扱われていないために病誌学的方法の限界がある。その正しい判断は日本古典文学研究の成果を待たねばならないのである。この現象は現代の精神病理学の病跡学でも同様の指摘が可能である。ここに障害史研究のための日本古典文学研究の必要性という結論を導きだした。最後に、源内が周囲から愛された事実にわれわれが障害者と「共生」するためのヒントがあるのではないかという展望を述べた。

収録刊行物

  • 障害史研究

    障害史研究 1 1-14, 2020-03-25

    九州大学大学院比較社会文化研究院

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