<論説>蒙古ラマ教史上の二人の弘法者 : ネイチ-トインとザヤ-パンディタ

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タイトル別名
  • <Articles>Two Preachers in the History of Mongolian Lamaism : Neyici toyin and Jaya pandita Namqayiǰamcu
  • 蒙古ラマ教史上の二人の弘法者--ネイチートインとザヤーパンディタ
  • モウコ ラマキョウ シジョウ ノ フタリ ノ コウボウシャ ネイチートイン ト ザヤーパンディタ

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説明

蒙古ラマ教史上、ネイチ-トイン Neyiči toyin (一五八七?-一六五三) とザヤ-パンディタ=ナムカイジャムツ Jaya paṇḍita Namqayiǰamču (一五九九-一六六二) の二人のオイラート僧は、ゲルクパ・ラマ教の弘法者として偉大な存在である。前者は、トルグート部の出身で、チベットで修業した後、帰化城に居住して、主として内モンゴル族の間にラマ教を布教した。その名声は清の順治帝にも知られる程であった。このネイチ-トインについては、蒙古喇嘛教史(Hor chos ḥbyuṅ) に簡略に述べられているが、それはネイチ-トインの伝記である Boɣda neyiči toyin dalai mañǰuŝrii-yin domoɣ に拠ったものである。この伝記に依拠して、更に詳細に彼の布教活動を跡づけてみた。一方、ザヤ-パンディタについても、その伝記 Rabjamba Zaya pandhidiyin sarayin gerel kemēkü tüüǰi が存在する。これによれば、ホシュート族出身の彼は、チベットから帰国した後、オイラートの地に居住して、ハルハ族とオイラート族-特に後者-の間にラマ教を布教した。彼について特徴的なことは、俗的方面の活動も目覚しかったことである。その顕著な例が、センゲの登位直後のオイラートの内乱の際の彼の調停工作である。一七世紀前半期のモンゴル族の社会を考察する上で、この二人のラマ僧の伝記は、幾多の貴重な史実を提供するものである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 56 (1), 71-98, 1973-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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