<論説>「麓」集落に関する二・三の検討

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  • <Articles>Some Suggestions on the "Humoto" (麓) Settlements

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抄録

「麓」集落は旧島津藩領に普遍する郷士集落の地方的名称であり、その起源は、従来鎌倉以降室町末期に存すると考えられていた。そして、「麓」集落に関する既往の研究は、「麓」を以て中世的=軍事的集落として捉え、それを強調するあまり、中世の集落様式がそのまま近世に伝えられ、今日の景観につながるように考えた。ここでは「麓」が居住区として建設されたのは近世初頭であって、景観的にも人的構成においても直接に中世につながるとはいい難いこと、又その法制についても近世初頭の成立になることを明らかにしようとする。しかし、「麓」がいくつかの中世の山塞のなかから、交通・防禦・衛生の諸条件の最良のものを選択している点において、中世の居住を全く無視しているとも断じ得ない。一方、従来の機能的な研究は、「麓」の行政的機能の追求が比較的に閑却されていた。ここでは「麓」を行政集落として価値づけ、その行政的機能を軸とした有力な地域形成力を認め、多様な行政機能の集積がその「麓」を地方的核心集落として結晶せしめると共に、明治二十二年の町村編制は「麓」を中心とした「郷」の境域を基礎に新しい村をつくるに至ったことを明らかにする。このように、「麓」集落を成立期・機能・地域形成力の面から再検討を行うことが本稿の目的である。

収録刊行物

  • 史林

    史林 40 (4), 316-345, 1957-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

キーワード

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390290699825282432
  • NII論文ID
    120006818094
  • NII書誌ID
    AN00119179
  • DOI
    10.14989/shirin_40_316
  • HANDLE
    2433/249307
  • ISSN
    03869369
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
    • IRDB
    • CiNii Articles
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用可

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