<研究ノート>三司使の成立について : 唐宋の変革と使職

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タイトル別名
  • <Note>Establishment of San-ssu-shih 三司使 : Reformation of T'ang 唐 and Sung 宋 and Shih-chih 使職
  • 三司使の成立について--唐宋の変革と使職
  • サンシシ ノ セイリツ ニ ツイテ トウ ソウ ノ ヘンカク ト シショク

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抄録

唐中期いごに現れた令外の官たる節度使・転運使・度支使・枢密使等の使職は、社会的な変動に対応するためと、君主権の強化を意図して設置されたものである。本来、宦官に由来するこれら使職は、ほぼ当初の意図どおり、中世貴族制を崩壊させて宋いごの新しい社会を作りだす上に大きな役割を果した。勿論、使職は過渡的なものであつて、これに伴なつて復活した「辟召」制が宋いご再び見られなくなる点は注意すべきであろう。本稿では、これら使職の内とくに、五代・北宋における大蔵大臣ともいうべき三司使成立の過程を追求した。国家財政の膨脹に伴ない戸部内の度支曹の重要性がましたが、安史の乱が起ると、戦費をまかなうため第五碕が山南等五道度支使に任じられ、苦しまぎれに始めた東南地方の海塩の専売が成功を収めるや、塩鉄使に任じられて塩の専売を全国的に施行した。いご度支使と塩鉄転運使は地域的に東西に分れて天下の財利を分掌したが、黄巣の乱ごろから三司を統合する動きがみえはじめ、五代の後唐のときに三司使が成立した。

収録刊行物

  • 史林

    史林 44 (4), 609-633, 1961-07-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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