文化装置としてのスポーツ : 「区分」社会からの脱却

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タイトル別名
  • Sports as a culture system : Leaving from "separated society"
  • ブンカソウチ ト シテノ スポーツ : クブン シャカイ カラノ ダッキャク
  • 文化装置としてのスポーツ : 区分社会からの脱却

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抄録

スポーツをマネジメントの視点で捉え、体現するには何が必要となるのか。それは、スポーツを公共財として捉え、文化装置として社会へ定着させることにある。つまり、スポーツそれ自体が社会性を持ち、スポーツ選手が多くの選択肢を有する教養レベルを保持することにある。しかし、「空疎な頭蓋に逞しい肉体」という揶揄があるように、スポーツには社会的承認の欠如というアンビバレンスが存在する。よって、スポーツに関わる全ての人間の認知的レベルの向上がその命題となる。 そもそもスポーツとは私的で自由なものである。学説によるスポーツの語源、carry awayは、ココロの不安を体を使って解消とする意であり、体を動かすことを人間の基本的な行動原理と理解する。そして、このような行動原理による人間復興は「脳―心―身体」の高水準の統合体によって実現可能となり、この人間行動の高度な発現が競技スポーツと考えられる。 日本におけるスポーツは、近代社会における国家の形成と維持・発展の根幹に関わる重要な政治課題として扱われ、権力、社会、軍事の密接な交錯により、学校教育機関と企業を媒体として、その大衆化と高度化が推進された。しかしながら、競争原理と市場原理が顕著となった社会の変容は、自然かつ自明で存在を疑わなかった絶対的な「制度」の崩壊を招いている。それはスポーツを取り巻く環境においても例外ではなく、現在、学校運動部活動と企業スポーツは低迷と衰退という様相を呈している。 このような環境変化に相応し、新しいスポーツ形態の動向が見られる。文部科学省施策、Jリーグ百年構想、スポーツNPO法人、大学コンソーシアム京都の取り組みがそれである。そして、このような動向を踏まえ、今後の展望を以下の5点において指摘したい。・ スポーツの新しい機能 ソーシャル・キャピタル構築の「ハブ」 ・ 地域住民のスポーツに対する意識改革 ・ 企業におけるスポーツ文化支援に対するスキームの変革と社会的役割の再確認 ・ メディアにおけるスポーツの商品価値としての追及と文化的価値のバランス ・ 行政における縦割りセクショナリズムを越えた総合的・横断的なスポーツ政策の推進体制 つまり、スポーツの組織体を経営体の行動と捉えた文字通り"ガバナンス"が必要となるのである。マネジメントの視点はスポーツ振興への重要な方法論を提供するものであるが、スポーツは「全人教育」の体現であり、運動に対する欲求を原点とした自己のスポーツ条理の再構築がその前提条件となるであろう。

収録刊行物

  • 同志社保健体育

    同志社保健体育 (44), 1-27, 2006-03-01

    同志社大学保健体育研究室

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