<論文>第二次世界大戦後の占領下ドイツにおけるストゥディウム・ゲネラーレ(Studium generale)導入の試み:大学の社会的使命についての考察

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タイトル別名
  • <Article>Discussions on the introduction of Studium generale in Post-WWII Occupied-Germany : Enquiry into the Societal Mission of the University
  • 第二次世界大戦後の占領下ドイツにおけるストゥディウム・ゲネラーレ(Studium generale)導入の試み : 大学の社会的使命についての考察
  • ダイニジ セカイ タイセンゴ ノ センリョウ カ ドイツ ニ オケル ストゥディウム ・ ゲネラーレ(Studium generale)ドウニュウ ノ ココロミ : ダイガク ノ シャカイテキ シメイ ニ ツイテ ノ コウサツ

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抄録

本稿の目的は、第二次世界大戦後、四連合国軍の軍事占領下におかれたドイツ(1945?1949)における教育改革において、ストゥディウム・ゲネラーレ(Studium generale)導入試みの経緯を検証し、その理念について考察することにある。アメリカ占領下における大学改革の一環であったこの改革案は、結果としては、ドイツの大学課程に大きな変革を及ぼすには至らなかった。本稿では、中世にその起源をもつストゥディウム・ゲネラーレが、どの様な理念や思惑でこの時期に再び光が当てられることになり、またどういった経緯で定着することにはならなかったのかについて、主に連合国軍政府の公文書史料をもとに、検証し分析する。対象とするのは、ヤルタ会議とポツダム会議での合意に沿いアメリカ合衆国の占領区とされ軍政府(Office of Military Government of U. S. for Germany, OMGUS)統治下におかれたバイエルン(Bavaria)、ヴュルテンベルク・バーデン(Wurttemberg-Baden)、大ヘッセン(GreaterHesse)各州と米領ブレーメン自由市(Bremen Enclave)、そしてベルリン市の南西部(AmericanSector of Berlin)である。革新的な改革が、広範囲にわたって迅速かつ短期間に実行された日本やソ連占領区ドイツとは異なり、米・英・仏の西側三連合国の占領下にあったドイツの教育制度は、ナチ教育の排除以外著しい変革はもたらされなかったというのが多くの先行研究の見方であり、筆者も同様に考える。しかし、そのドイツにおいて、比較的明確な形で、緩やかながらも変化の必要性と可能性が検討されたストゥディウム・ゲネラーレに関する議論は注視に値する。特に注目するのは、戦中のドイツの大学へのナチズムの浸透を、アメリカ軍政府がどの様に認識していたか、それに基づいてどのような改革策を考案していたのか、そしてそのアメリカの案に対しドイツの大学側がどの様に応じたかという点である。これらの枠組みに主眼におきながら、大学改革の一端を担うとされたストゥディウム・ゲネラーレをめぐる議論の過程を検証する。

収録刊行物

  • 国際日本研究

    国際日本研究 12 63-74, 2020

    筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻

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