<論説>近世における徴租法の転換 : 畿内綿作徴租法を中心として

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タイトル別名
  • <Articles>The Conversion of Tax-collection Systems in the Tokugawa Era : about the tax-collection systems on cotton farming in Kinai 畿内
  • 近世における徴租法の転換--畿内綿作徴租法を中心として
  • キンセイ ニ オケル チョウソホウ ノ テンカン キナイ ワタサクチョウソホウ オ チュウシン ト シテ

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抄録

徳川幕府は寛永後期、畝引検見取法を一般に施行した。それは、幕府がその権力の基盤とした、脆弱、不安定な「小農」経営の安定的維持をはかるとともに、かれらの全剰余労働を搾取する徴租法であった。しかるに元禄・享保期にかけての生産力の上昇、百姓の抵抗は、この仕法による全剰余労働の搾取を困難ならしめ、一般に一定の剰余労働が、百姓の手元に残留するようになった。これに対して幕府は、享保改革期に畝引検見取法ついで根取法に基づく定免法を施行して、百姓から全剰余労働を吸収しようとした。しかし定免法も、基本的には田畑の位・石盛に規制されているので、幕府の期待にそいえなかった。かくて幕府は享保改革の末期、田畑の位・石盛を全く無視した有毛検見取法を、畿内において実施し、その商業的農業の発展成果を吸収した。しかし、それはやがて百姓経営を圧迫し、必然的に百姓の抵抗をひきおこし、明和期に入るとふたたび幕府の年貢収納量は減少した。これに対して幕府は、有毛検見取法に基づく定免法を施行して、年貢収納量の回復をはかったが、もはや有毛検見取法は、かつての機能を発揮できなかった。本稿は、以上のような徴租法の変化を、畿内綿作に対する徴租方法を中心として考察するものである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 48 (1), 1-39, 1965-01-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

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