<論説>国府と条里との関係について

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  • <Articles>On the Relation between Kokufu 国府 and Jori 条里 System
  • 国府と条里との関係について
  • コクフ ト ジョウ サト ト ノ カンケイ ニ ツイテ

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抄録

わが国の古代における地方中心地として、都市計画にもとずいて建設されたと考えられる国府は、農村計画として施行された条里制の土地割の上に、その界線を基準として建設されたとする、米倉二郎氏の仮説は、国府と条里の研究者逹に大きな影響を与え、各国でその適用が試みられた。これに対して、そうでない場合も多いとする藤岡謙二郎氏の批判があるが、本論は阿波・安房・豊前・播磨・備前の諸国府址について、既往の研究に対する批判を加えつつ、より妥当と思われる復原を考定し、更に各国における研究の成果を利用して全国的な概察を試みる。これらを通じてほぼ次の結論に達する。(1)国府と条里の土地割の異同については、(イ)南北方位をとらない条里に対して国府は南北方位をとる場合が多いこと、(ロ)南北方位をとる条里に対しては合致する国府が多いが、殊更に異方位を示す場合もあること、などから特に密接な関係があるとは考えられない。したがって条里地域内において特に異なる方位の土地割が認められる場合には、それが国府域であることを示すことがある。(2)国庁の位置と条里の界線についても特に密接な関係は認めがたい。ただし、播磨の例のように、国府の位置を基準に条里の呼称法がとられたと考えられるものもある。この場合、条里土地割-(無関係に)-国府-(基準に)-条里呼称、となる。以上によって、一般的には国府と条里との間には特に密接な関係はない。従って、国府の研究は、条里との関係からのみによらず、各方面の研究の成果を綜合的に進めらるべきである。また、国府の設置は律令体制下に、全国的に一定の原則にもとずいて施行されたと思われるが、その実施にあたっては、個々の現地の実状に応じて個有の展開を示したと考えられるので、その形態も規模も全く一様のものではないことに留意すべきである。

収録刊行物

  • 史林

    史林 50 (5), 703-732, 1967-09-01

    史学研究会 (京都大学文学部内)

被引用文献 (1)*注記

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