シェマーにおける「―(エハド)」理解

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タイトル別名
  • The Understanding of 'eḥād̲ (One) in Shema
  • シェマー ニオケル ― (エハド) リカイ
  • シェマーにおける「一(エハド)」理解
  • シェマー ニ オケル イチ エハド リカイ

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抄録

申命記6章4節に始まるシェマーは、旧約聖書における最も重要な部分の一つである。旧約聖書学はこれまで、歴史やテクストの文脈に基いて、この箇所をおもに多神教批判もしくはポリヤハウィスムス批判として捉えてきた。本稿では、特にテクスト内の連関に照らし、シェマーにおけるヘブライ語・エハド( 'eḥād̲;一)の語義に焦点を当てる。ウガリット文献との比較によって、エハドは、多を前提とした上で独特であることを意味するのではないかとの考察がある(KTU1.4VII49b-52b)。そして、ヘブライ語において、「〜だけ」という意味は、バダド(bād̲ād̲)という副詞によってより適切に表されると考えられる。語源上、エハドはむしろヤハド(yaḥad̲)「一緒に」と係わりがあることが推測されている。シェマーの解釈にあたっては、しばしば申命記6章5節が参照され、民とイスラエルの関係の表現であるとされてきた。そして、近年では、エハドという語自体が、神とイスラエルの民との親密な関係性を描写しているとする意見もある。また、エハドによってヤハウェの一貫性が表わされ、それに基づいて民が神への信頼を築くという見解は興味深い。

収録刊行物

  • 基督教研究

    基督教研究 65 (2), 87-106, 2004-03-19

    基督教研究会

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