<論文>戦後初期地方文化運動と政治組織 -- 「全大阪映画サークル協議会」の事例から--
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- 立本 紘之
- 法政大学大原社会問題研究所兼任研究員
書誌事項
- タイトル別名
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- <Articles>Early Postwar Local Cultural Movement and Political Organizations -- From the Case of "the All Osaka Film Circle Council" --
- 戦後初期地方文化運動と政治組織 : 「全大阪映画サークル協議会」の事例から
- センゴ ショキ チホウ ブンカ ウンドウ ト セイジ ソシキ : 「 ゼン オオサカ エイガ サークル キョウギカイ 」 ノ ジレイ カラ
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説明
本稿は, 戦後初期の地方文化運動組織と同組織に影響を及ぼし得た政治組織(日本共産党)との関係・距離などについて, 「全大阪映画サークル協議会」(大阪映サ協)の関連資料を多く含む「山本明コレクション」を用いることで考察するものである。他地域に先駆けて日本民主主義文化聯盟大阪地方協議会が発足した, すなわち地方レベルでの文化団体糾合組織と言う運動の形がいち早く根付いていた大阪では, 1949年に大阪映サ協という映画サークル「協議会」組織が誕生する。しかし創立後間もなく共産党の「50年問題」に直面した結果, 同組織においては共産党及び, その関係者の「指導」を前提とした文化運動の根本が一時的に断ち切られることとなる。そのため自律的・独自の運動を展開せざるを得なくなった同組織では, 統一的目標を掲げることが難しいほどに多様なサークル運動が確立されていった。しかしその一方, 情勢に合わせ明確な指針を作り出すには不十分なところがあり, 独立プロ作品の高揚など外的要因に支えられた数的拡大が一時的に起こるも長続きせず, 結果1950年代後半に至っても組織自体の根本的な改善を図れないままの状態になってしまう。そして1955年の共産党「第六回全国協議会」における, 党の分裂・非合法状態の解消と前後する形で協議会の組織停滞・行き詰まりが顕在化し, 共産党による明確な形での映画運動への指導も強まっていく。つまり党員(文化人)の指導を受ける組織というあり方を得られない状況に長らく置かれた「全大阪映画サークル協議会」が情勢変化に適応出来なくなったタイミングで, 映画運動への党指導が強化されていく形になるのである。このことこそ, 党指導への従属・自立の如何を問わず, 党との関係に起因する問題を党との距離に関わらず内包する, という共産党影響下の社会運動の特色及び, 戦後日本映画サークル運動を共産党との関係の観点から考察する意義を共に示していると言えるだろう。
収録刊行物
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- 人文學報
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人文學報 116 11-35, 2021-03-31
京都大學人文科學研究所
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キーワード
詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390572174910248064
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- NII論文ID
- 120007035844
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- NII書誌ID
- AN00122934
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- DOI
- 10.14989/262798
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- HANDLE
- 2433/262798
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- NDL書誌ID
- 031417464
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- ISSN
- 04490274
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDLサーチ
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可