抄録
本論文では、超義務(supererogation) つまり望ましいが義務的でない行為と、亜義務(suberogation)つまり望ましくないが禁止されない行為について、規範的性質を詳しく検討する。まず、いわゆる「超義務のパラドックス」を構成する命題を一つ一つ明らかにし、超義務という考え方のどこに規範倫理学的な問題があるかを示す。次に、「超義務のパラドックス」に対する既存の哲学的見解の難点を示す。第三に、超義務には異なる二つの種類があると提案した上で、それぞれが道徳的に求められない理由を次のように区別して主張する。少額の募金のような超義務(慈恵型超義務)は、道徳的価値が小さすぎるため道徳的に求められない。これに対して、命懸けの人命救助のような超義務(英雄型超義務)は、我々の通常の行為選択肢に含まれず、義務論的地位そのものを欠く。最後に、これまでの議論を亜義務に応用し、この種の行為についての理解を深めたい。小さな報復のような「しないに越したことがない」行為(非行型亜義務)は、道徳的な悪さが小さすぎるため道徳的に禁じられない。これに対して、ジェノサイドなどあまりに悪すぎる行為(極悪型亜義務)は、我々の行為選択肢に含まれないため義務論的地位そのものを欠く。
収録刊行物
-
- 応用倫理
-
応用倫理 15 15-32, 2024-03-31
北海道大学大学院文学研究院応用倫理・応用哲学研究教育センター
- Tweet
キーワード
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1390581456539662208
-
- HANDLE
- 2115/92027
-
- ISSN
- 18830110
-
- 本文言語コード
- ja
-
- データソース種別
-
- JaLC
- IRDB
-
- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可