この論文をさがす
抄録
本稿では,中学校・高等学校の数学の教科書上の「当たり前」に目を向け,その点を相対化していく教材論,すなわち,その教師にとっての「当たり前」が生徒達にとっての「当たり前」ではないかもしれない可能性を考える教材論を展開する。結果,[1] 多項式の展開については,(𝑎 + 𝑏)2 の展開公式に着目し,生徒達の目から見て,𝑎2 + 2𝑎𝑏 + 𝑏2 と 𝑎2 + 𝑏2 + 2𝑎𝑏 のどちらの順番で書いても拡張の方向性として遜色なく見え得ること,[2] √𝑎 の長さの線分の作図については,長さ𝑎 の線分のみならず長さ1 の線分が与えられることの数学的価値が,生徒達の目からは見えないこと,[3] 比例の定義については,小学校流の定義から中学校流の定義に更新する必要性が生徒達には感じづらいこと,を指摘し,3 教材のいずれについても,大局的な視点(教師にとっての「数学としての当たり前」) と局所的な視点(生徒達にとっての「生活経験としての当たり前」) のズレを論じることができた。数学の教師は,日々目の前の生徒達の様子を注意深く観察しながら,教師にとっての「数学としての当たり前」と生徒達にとっての「生活経験としての当たり前」のズレの調整をしなければならない。
収録刊行物
-
- 中等教育研究紀要 /広島大学附属福山中・高等学校
-
中等教育研究紀要 /広島大学附属福山中・高等学校 64 25-36, 2024-04-01
広島大学附属福山中・高等学校
- Tweet
詳細情報 詳細情報について
-
- CRID
- 1390581533761104384
-
- NII書誌ID
- AN00146014
-
- DOI
- 10.15027/55185
-
- ISSN
- 09167919
-
- 本文言語コード
- ja
-
- データソース種別
-
- JaLC
- IRDB
-
- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可