近世初期における鷹の調教と鶴取 : 池内吉長の鷹術を中心に

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タイトル別名
  • The Training of Hawks and Catching Cranes (Tsurutori) in the Beginning of the Edo Period : F ocusing on Ikeuchi Yoshinaga’s Hawking
  • キンセイ ショキ ニ オケル タカ ノ チョウキョウ ト ツルシュ : イケウチ キチチョウ ノ タカジュツ オ チュウシン ニ

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抄録

本稿の目的は、近世初期にツルを捕らえるための鶴取の鷹術が確立していく歴史的過程と、鶴取の鷹の調教実態を明らかにすることである。鷹狩の狩猟対象鳥類として重要視された「鷹の鳥」が16世紀を画期としてキジからツルへと変化し、ツルを捕獲で、きる鷹は「鶴取之鷹」として領主層から珍重されることとなった。このようにして生まれた鶴取の鷹への需要は、既存の鷹術の在り方を大きく変化させ、新たに鶴取の鷹を調教するための鷹術が確立した。本稿では、肥後国熊本の加藤家に仕えた池内左太右衛門吉長に関する史料群「池内文書」を分析しながら、上記の課題を検討していく。吉長は鷹術諸流派を相伝した上で、独自に鶴取の調教技術を確立させた。さらに、吉長は自らの鶴取の知識を鷹書として記録化し、次男の吉勝へ相伝させた。この相伝によって鶴取の鷹術は特別な「知」と技法として確立したといえる。また、吉長は鷹書とともに鷹の調教実態を詳細な記録として残した。この記録の分析から、鷹狩によるツルの捕獲は困難で、吉長の調教を受けた鷹の中でも鶴取になれたのはごく一部だ、ったことが明らかになった。すなわち、鶴取はその困難さゆえに特別な調教法を必要とし、鶴取の鷹術なくしては鶴取の「知」と技法が鷹狩文化に根付くことは難しかったのである。

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