19世紀イギリスにおける混合農業の展開と家畜改良

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  • On the Significance of Livestock-Improvement for the Development of Mixed Husbandry
  • 19セイキ イギリス ニ オケル コンゴウ ノウギョウ ノ テンカイ ト カ

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抄録

耕種部門と畜産部門とが有機的に結合した高度に集約な農業である混合農業(mixed-husbandry)が,19世紀中葉ハイ・ファーミング(high farming)期において,高度に展開するのであるが,そのためには多くの社会経済的・技術的条件の整備・充実が必要である.このばあい,混合農業の一翼を占める畜産部門に限ってみると,その展開のためには耕種部門における条播農法(drill-husbandry)を基軸とした技術的展開(厩肥および人造肥料による多肥化,および暗渠排水や客土等による土地改良の進展)による飼料作物の増産と同時に,①優良品種の家畜の導入,②家畜飼養方法の改善・発達,および③ヴィクトリア朝期の経済繁栄のもとでの畜産物に対する需要の高まり,したがって,畜産物価格の上昇-加えて,鉄道網の拡充等交通運輸条件の改善も重要である-が重要な要件である(佐藤,1981,1982).これらの条件について,以下簡単にふれておきたい.農業革命期ノーフォーク農業における畜産部門においては,飼養される家畜品種は在来種が多く,しかも飼養方法も舎飼に完全に移行したものではなかった.これに対して,ハイ・ファーミング期においては,まず第1点として,牛ではショートホーン種(Shorthorn)(肉・乳兼用),デヴォン種(Devon),へレフォード種(Hereford)等,緬羊では改良レスター種(Improved Leicester)やサウスダウン種(Southdown)等飼料効率が高く,肥育速度の早い,いわゆる優良品種の家畜が導入ないし一般的に飼養され,それらは,第2点として,飼料カブや牧草に加えて,油粕(oil-cake)や亜麻仁殻粕(linseed-cake)等購入飼料を利用し,飼料調製設備(飼料カブ断裁機や亜麻仁殻粉砕機等)や尿溜(liquid-manure-tank)が付設された畜舎で周到に飼養管理されている.そして,第3点として,Caird(1967,pp.27-28)によると,"30年前(1850年前後を指す……筆者注),この国の人口の約3分の1は週1回以上畜産物を消費していただけであるが,現在ではほとんどすべての人が1日に1回,肉・チーズあるいはバターを食べている.これは1人当たりの平均消費量を2倍以上にした.そして人口の増加を考慮すると,この国での畜産物の総消費量はおそらく3倍になった".このような畜産物に対する需要の結果として,1770年,1850年,1880年におけるバターの価格は1ポンド当たりそれぞれ6ペンス,1シリング,1シリング8ペンス,肉はそれぞれ3(1)/(4)ペンス,5ペンス,9ペンスとなり,それぞれ上昇傾向を示している(Caird,1967,付表).このように19世紀中葉ハイ・ファーミング期に,畜産部門においてこれら三つの側面の改善・発達が行なわれたのである.ところで,上述のとおり,ハイ・ファーミング期においては優良品種の家畜が導入され,あるいは一般的に飼養されているのであるが,これら優良品種の家畜がどのような要因によって育成されたかは,優良品種の家畜の飼養が混合農業の展開のための重要な要因であり,また,後述するように,優良品種の家畜の存在が19世紀末農業大不況期において農業者に活路を与えたことを考えるとき,重要な課題である.ここで,"優良"の意味についてふれる.優良とは一般に一定の労働・資本の投下に対して,産肉(毛)性あるいは泌乳量が高いものとみられるが,それは絶対的ではなく,優良であるかどうかは家畜が飼養される"経営構造"によると考えられる.たとえば,ロングホーン種(Longhorn)がショートホーン種にとってかわられるのであるが,その理由は,岩片(1951,20-21頁)によると,"ロングホーンは放牧に適し,外界の寒さによく耐えるけれども,生長が遅く,産乳能力も高くない.エンクロージアに伴う飼料作物の導入によって冬の舎飼が可能になり,同時に,畜産物の需要が旺盛になるにつれて,これらの飼料を速かに且つ能率的に,畜産物に転化する品種が必要となったけれども,冬の寒さによく耐え,或は敏速に飼料を探し求めるが如き形質は,必ずしも必要ではなくなった"ことである.すなわち,放牧を主体とする経営構造のもとでは,ロングホーン種はそれに適合した優良品種であったが,舎飼が主体となり,しかも,肉需要の増大のもとで産肉性が問題となる条件下ではそうではなくなり,産肉性のすぐれたショートホーンに席を譲らざるをえなかったのである.上記の課題に対して,本論では家畜改良の1事例として海峡諸島(Channel Islands)の一つであるジャージー島で育成されたジャージー種(Jersey)の改良の要因ならびに方法を検討し,加えて,ジャージー種を含めて優良品種の家畜が混合農業の展開において演じた役割を検討する.ジャージー種は周知のとおり乳用種として著名であるが,イギリスで乳用種が重要視されるのは19世紀末農業大不況以後のことであり,世紀中葉の混合農業展開期ではない.混合農業の展開にとって直接関係するのは乳用種よりもむしろ肉用種であるが,ここで,乳用種であるジャージー種をあえて検討の対象にする理由はつぎのとおりである.すなわち,第1には,ジャージー種の改良過程はその他のたとえばショートホーン種,デヴォン種,エアシア種(Ayrshire)の改良過程とは異なり-たとえば,ショートホーン種についてはDixon(1865),デヴォン種についてはDavy(1869),ヘレフォード種についてはDixon(1868)を参照-,地理的にも,法律的にも隔離された島内で純種を保持しつつ行なわれるという特殊性を有するが,後述するとおりベークウェルの育種法,いわゆる近親交配(inbreeding)法を基本的に踏襲しつつ島ぐるみで行なったとみられ,その意味では一般的な育種方法にしたがって育種されたと考えられるからである.そして第2には,19世紀末農業大不況期にイギリス農業はその克服のために混合農業から家畜農業へ転化するのであるが,その転化が行なわれえたのはすでにハイ・ファーミング期において優良品種の家畜,とくに乳用種が育成されていたことによることを示したかったからである.家畜の品種改良にあたっては,育種技術の発達が重要であることはいうまでもない.そこで,当時の育種技術の発達水準について若干ふれておこう.当時においてはいまだメンデルの"遺伝の法則"は再発見されておらず,生物学的・遺伝学的知識にもとづいて育種が行なわれたのではない.メンデルの遺伝の法則は1865年に発見されたのであるが,長く認められず,彼の死後16年目の1900年にド・フリース,コレンスおよびチェルマックによって再発見されたのである(下中,1969).にもかかわらず,経験的技術として18世紀中頃にベークウェルの育種法が確立され,それは"今日の育種学を築いた基礎"になったといわれる(西田,1975,325頁).この育種法は19世紀に広く普及したショートホーン種の育種者として著名なコリング兄弟にうけつがれたことは周知の事実である.すなわち,Symon(1959,p.325)によると,"ベークウェルの2人の賛美者,ダーリントン近くの出身者であるコリング兄弟はベークウェルがロングホーン種に対して行なったことを彼らの在来種であるティースウォーター種(Teeswater)に対して行なおうと決心した.彼らは有名な雄牛ハーバック号(Harback)を獲得し,それを素材に近親交配することによって改良雄牛コベット号(Cobbet)を育成した.ティースウォーター種,あるいはそれが名付けられるように,ショートホーン種の名声は広まった".ベークウェルの育種法の骨子は西田(1975,325貢)によると,①広く国の内外から,評判のよい家畜個体を買い集め,②それを自分の手持の繁殖群に加え,③生産した種畜を売却する際,売却後の成長,繁殖成績などに注意を払い,良い成績をしめしたものは,時として買い戻して,自己の繁殖群に入れる,④牛や豚の産肉性については,体型,外貌をするどい観察,鑑定眼をもって判定をしたばかりでなく,⑤解剖学的に筋肉標本をとっておいて比較検討し,⑥豚では飼料の利用効率もある程度観察,測定した.⑦改良目標を定め,その目標に近い形質,能力をもつ個体を選抜して交配し,⑧当時忌避され,失敗の危険を恐れられていた強度の近親交配を,その子供同士や子と親の間で行ない,⑨こうした近親交配と選抜をくりかえして,目的とする形質,能力の固定をはかった.なお,本論の一部はすでに佐藤(1982)の(2)"優良家畜品種の導入と家畜飼養方法の改善・発達"における補説として公表している.

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