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- 村山 修一
- 大阪女子大学教授
書誌事項
- タイトル別名
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- <Articles>The Formation of the Kanto 関東 Ommyodo 陰陽道 : the Kamakura Shogunate
- 関東陰陽道の成立
- カントウ オンヨウドウ ノ セイリツ
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抄録
わが国の陰陽道は平安時代において公家貴族専制下、大いに繁栄し、その日本化をもほぼなしとげたが、それによって公家の文化、公家の教養の重要な部分をも形成したのである。かくて陰陽道は公家の独占物の如く速断され易いが、鎌倉時代に入り武家政権樹立されるや、陰陽道は武家社会にも滲透し、ここに武家故実としてのいわゆる関東陰陽道が形成されていった。それは陰陽道が一般民衆に、より一層接近しゆく一つの過程として捉えらるべく、幕府の公家化として単純に片付けるべきでない。一方公家社会の行きづまりによって陰陽道界では次第にその庇護者としての朝廷を離れ、鎌倉に下り幕府の御用陰陽師として進出するもの少なからず、その中心となるのは安倍氏であった。後世、安倍 (土御門) 氏が陰陽道界の主導権を握るに至る素因はこのときにあったのである。これらの事情を吾妻鏡を中心として考察したのが本稿である。
収録刊行物
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- 史林
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史林 49 (4), 487-508, 1966-07-01
史学研究会 (京都大学文学部内)
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キーワード
詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1390853649778916864
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- NII論文ID
- 120006818608
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- NII書誌ID
- AN00119179
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- HANDLE
- 2433/249884
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- NDL書誌ID
- 842271
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- ISSN
- 03869369
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- 本文言語コード
- ja
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- データソース種別
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- JaLC
- IRDB
- NDL
- CiNii Articles
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- 抄録ライセンスフラグ
- 使用可