大正期日本外務省の対外宣伝

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書誌事項

タイトル別名
  • Foreign propaganda by the Ministry of Foreign Affairs of Japan in Taisho era
  • The Toho News Agency and the Washington Naval Conference
  • 「東方通信社」とワシントン会議

抄録

本稿では、日本外交史研究で「新外交」呼応策として言及されながら実証の不十分だった外務省による「宣伝外交」の実態を、ワシントン会議[華府会議]を例に解明する。そして、第一次世界大戦期から華府会議期に至る対外宣伝の展開を、日本外交史の中に位置づける。<br> 第一章では前史として第一次世界大戦中の対中国宣伝を述べる。在上海総領事により創設された「東方通信社」[東方]は、反帝制運動に乗じて中国での宣伝基盤を作った。だが内政干渉政策と密接する漢字新聞中心の宣伝は大戦後に裏目に出た。<br> 第二章ではパリ講和会議後の対外宣伝を見る。外務省は、日本の「公明正大」な対中政策をどう米国に示し、他方「誤解」の源とされる中国内の報道にどう対抗するかという観点で宣伝策を再検討した。1920年4月発足の情報部は、在中国の米国人経営紙に対抗するべく英字新聞を強化し、「東方」を直轄化した。一方ドイツによる戦時「プロパガンダ」の記憶が色濃い米国では、原敬首相の対米外交を支える埴原正直や幣原喜重郎が現地宣伝機関設置案を却けた。この対照的な対中・対米宣伝方針は華府会議でも継承された。<br> 第三章では華府会議期の宣伝を、情報部・「東方」・日本全権[全権]に着目して論じる。日本の一般方針は国際的信望の増進で、情報部第一課は「東方」支社発の中国関連情報を全権へ提供した。また「東方」華府特派員は在中国支社へ会議の模様を伝え、「東方」調査部は同特派員の取材をもとに雑誌を刊行した。また情報部第二課は政府首脳と欧米人記者の会見を所管した。一方全権は、東京との電信遅延や、会議の開放性を求める米国輿論に応じるため、主体的に欧米人記者へ会談・会見を開いた。<br> 以上より当該期の外務省は、対中宣伝では「東方」の機能を拡充し、一方米国では期待された公明な情報発信を行うことで、中国での排日情勢の抑制と、米国が抱く「旧外交」的な日本像の刷新を図ったといえる。

収録刊行物

  • 史学雑誌

    史学雑誌 131 (10), 24-49, 2022

    公益財団法人 史学会

詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390860797238590464
  • DOI
    10.24471/shigaku.131.10_24
  • ISSN
    24242616
    00182478
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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