大阪毎日新聞上海特派員村田孜郎について1921年4月 -上海フランス租界での李漢俊(李人傑)と芥川龍之介の面談を設定した背景を探る-

書誌事項

タイトル別名
  • About Murata Shiro a journalist of Osaka Mainichi Shinbun in Shanghai : Why did Akutagawa Ryunosuke go to French concession in Shanghai to see Li Renjie in April 1921
  • オオサカ マイニチ シンブン シャンハイ トクハイン ムラタシロウ ニ ツイテ : 1921ネン 4ガツ,シャンハイ フランス ソカイ デ ノ リカンシュン(リジンケツ)ト アクタガワ リュウノスケ ノ メンダン オ セッテイ シタ ハイケイ オ サグル

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抄録

芥川龍之介(1892-1927)は,1921年3月末に大阪毎日新聞海外視察員として中国に派遣され,同年3月下旬から同年7月上旬に至る120余日の間に,上海,南京,漢口,長沙,北京など中国各地を遍歴した。その旅行記録は『大阪毎日新聞』に連載され,その後,1925年には『支那遊記』(改造社)と題して単行本として刊行された。『支那遊記』の中で芥川は,章炳麟,鄭孝胥,李人傑,辜鴻銘の4名の中国知識人に面会している。このうち,李人傑は誰であるか,長らく学界の謎であった。近年,李人傑が中国共産党の創立メンバーの一人李漢俊であり,芥川との面談の場所であった李漢俊の自宅が,1921年7月の中国共産党第一回党大会の会場であったことが分かった。上海で芥川を案内したのは,村田孜郎(大阪毎日新聞社上海特派員)である。村田孜郎は一体どのような人物であり,なぜ芥川を李漢俊のもとに案内することになったのか,本稿で検討を加える。

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