令和6年能登半島地震によって生じた越後平野における地盤災害

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  • Summary information of the Geo-disaster in the Echigo Plain induced by 2024 Noto Peninsula Earthquake

抄録

<p>1.はじめに</p><p>令和6年能登半島地震によって,越後平野においても地盤災害が生じた.震度は,新潟市中央区・南区・西区・西蒲区で震度5強,北区・東区・江南区・秋葉区で震度5弱であった.</p><p>建物被害は新潟市西区に集中しており,全壊9件,半壊340件,一部損壊316件である(2024年1月12日午前8時現在.新潟市発表).建物被害の大半は,地盤の液状化によるものとされている.</p><p> 越後平野における建物の液状化被害は,1964年の新潟地震時にも生じた.その際は,新潟市中央区の信濃川沿いで大規模な被害が確認された.今回の地震においても中央区の一部で液状化被害が生じたが,上述したように被害が集中したのは西区である.</p><p> 本発表では,新潟市西区において地盤災害が生じた要因について,地理学的な観点から調査・検討した結果を報告する.</p><p>2.調査方法</p><p> 新潟市西区を対象として,複数時期に撮影された空中写真の判読を行い,地形分類図を作成した.加えて旧版地形図と,過去に撮影された空中写真をもとに土地利用変遷図を作成した.</p><p> また,被災から5日後の1月6日にフィールドワークを実施し,地割れや地盤の液状化が発生した箇所,建物の被害地点とその状況を確認した.範囲はおもに県道16号線沿いの内野四ツ角から青山水道遊園までの間である.</p><p>3.新潟市西区の地形と土地利用</p><p> 新潟市西区の地形は臨海部に発達する砂丘と,その内陸側に広がる氾濫原とに大別できる.氾濫原には信濃川や西川によって形成された自然堤防,後背湿地,旧河道といった微地形の発達が認められる.</p><p> 砂丘の土地利用についてみると,1960年代までは小針や内野といった集落が点在する程度で,その他は畠であった.一方,氾濫原に発達した信濃川や西川の自然堤防上には集落が古くから立地していた.また,後背湿地は水田として利用されてきた.</p><p> 1970年代に入ると市街地の拡大にともない,砂丘のみならず信濃川や西川の氾濫原の後背湿地が宅地などとして開発され,現在に至る.</p><p> ところで,新潟市西区に広がる氾濫原の大半は,1950年代から1960年代にかけて人為による著しい地盤沈下を受けて形成されたゼロメートル地帯である.砂丘との境界部では,付近を蛇行しながら流れる西川と,砂丘からの水分の供給と相まって地下水位が高い.</p><p>4.県道16号線沿いの被害状況</p><p> 新潟市西区のなかでも建物や道路の被害が大きかったのは,県道16号線の大野郷屋から小針にかけての地域である.県道16号線は,砂丘と氾濫原との境界部に位置する.砂丘では,構成物が滑り落ちた際に形成された地割れが多く観察された.</p><p> また,砂丘が氾濫原へと遷移する箇所では,地盤の液状化によって生じた噴砂の痕跡が広範で認められた.大規模な地盤の液状化被害を受けて,メディアで取り上げられた新潟西郵便局は砂丘の末端,氾濫原との境界に位置する.県道16号線の車道と歩道の境界部では地盤の隆起や陥没が生じており,沿線の一部の建物は傾いていた.なお,新潟市西区における地盤の液状化被害は,県道16号線から離れた氾濫原においても生じた(例えば新潟工業高校).西川の旧河道に形成された新興住宅街は,地盤の液状化の発生にともなう建物被害が危惧されたが,厚い盛土が施されており被害は生じなかった.</p><p>5.新潟市西区において建物被害が生じた要因</p><p> 当地域で生じた地盤災害は2つのタイプに分けて考えることができる.①地震の揺れによって砂丘構成物が下方へとずり落ちたことによる地割れ災害.②地震の揺れによって生じた氾濫原における地盤の液状化による災害.</p><p> 県道16号線沿いの浅層地質は,氾濫原を構成する有機物を含んだ細粒堆積物(泥~細粒砂)と,砂丘を構成する堆積物(おもに中粒砂)から成り,先述の通り地下水位が高い.こうした地形・地質条件が地盤の液状化被害の拡大を招いたと考えられる.また,県道16号線沿いで地盤の液状化被害が大きかった理由として,砂丘構成物が下方の氾濫原へとずり落ちたことが影響した可能性がある.</p><p> 1964年の新潟地震の際にも,現在の西区に相当する砂丘と氾濫原との境界部で地盤の液状化が生じたことが知られている.しかし,上述したように当地の市街地化が進んだのは1970年代に入ってからのことであり,1964年時にはそれほど注目されなかった.以後,急速な市街地化によって砂丘の末端や氾濫原といった地盤の液状化が生じやすい地域が開発された.そうした人的要因が新潟市西区において多くの建物被害を生じさせた原因でもある.</p><p> 今後の課題として,砂丘との境界から離れた氾濫原において地盤の液状化が生じた地点がどのような地形・地質条件であったのかを調査する必要がある.</p>

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詳細情報 詳細情報について

  • CRID
    1390862809659756416
  • DOI
    10.14866/ajg.2024s.0_57
  • 本文言語コード
    ja
  • データソース種別
    • JaLC
  • 抄録ライセンスフラグ
    使用不可

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